独女のプアリッチLife

アラフィフ独女のセミリタイア生活!お洒落とお出かけと戯言

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一人耐性が高いって、たぶん良いこと

 

自分は「一人耐性」が高い人間なのではないか?

とかなり前から思っています。

 

人と会うのが嫌いではないし、ずっと引きこもっているのは寂しい。

誰とも関わらずに生きていきたいわけではない。

 

ただ、一人で過ごす時間に退屈や不安を感じることがあまりないのです。

 

 

 

 

ろれつが回らなくなりそう

 

ある日、60代半ばの友人がこんなことを言いました。

「1日誰とも話さなかったら、ろれつが回らなくなりそう」

大げさな表現に私は思わず笑ってしまったのです…っが

まるっきりの冗談ではなく、結構真剣な面持ち!

 

体調を崩し仕事を辞めたものの、ひとりのおうち時間が苦痛なのだと。

近所には娘たちがいて、孫もいて

私なんかよりずっとずっと恵まれているのに~。

 

一方、私はセミリタイア生活になってから、誰とも会話しない日なんて当たり前!

猫相手に話すくらいだけど

「ろれつがまわらなくなりそう」などと思ったこともありません。

 

私は一人で過ごす時間が苦にならない。

もちろん時にふと、寂しい気持ちになることはある。

ただ年齢を重ねるほど、一人の時間を楽しむ力は大切になる気がしているんです。

 

家族に恵まれている人は、一人のシチュエーションがあまりないから

「一人=孤独」の図式になってしまうのかもね。

 

 

コロナ禍でも暇ではなかった

 

 

数年前、コロナ禍で不要不急の外出が控えられ

商業施設も閉まり、多くの人が家で過ごしていたあの頃。

今振り返ると、不便なことがたくさんありましたよね~~~。

私が特に残念だったのは

 

  • 映画館に行けなくなったこと(やはり映画はスクリーンで観るのが一番)
  • 予約していたバリ島旅行がキャンセルになったこと
  • 気軽に外食ができなくなったこと

 

こうして並べてみると、やっぱりいろいろ辛かったなぁ。

ただ、不思議なことに「暇で仕方がない」と感じた記憶はあまりありません。

映画やドラマのサブスクを楽しみ、本を読み

このブログを始めるための準備もしていました。あとはゲーム…。

 

ちょうど会社員を辞めた直後にコロナ禍が始まったこともあり、

「いつか観よう」

「そのうち読もう」

と思っていた作品に次々と手を出していたら

案外あっという間に時間が過ぎていったのです。

 

もちろん、誰にも会わず、どこにも行かず

それでも平気だったという話ではありませんよ。

特に旅行のキャンセルは本当に残念でした。

 

ただ、人と会えないことそのものが大きなストレスだったかというと

私の場合はそうでもなかった気がします。

 

 

ひとりが好きというより退屈しない

 

 

子どものころから一人遊びが好きだったので

私は長年、自分のことを「一人が好きな人間」だと思っていました。

でも最近、それは少し違うのかもしれないと思うようになりました。

 

一人が好きというより、一人でも楽しめることが多い。

だから一人でいても退屈しない。

そういうことじゃないかなぁ…。

 

映画を観るのも、本を読むのも、ブログを書くのも好き。

カフェでのんびり過ごす時間も嫌いではありません。

だから「誰かと一緒じゃないと楽しめない」という感覚が、実はあまりないのです。

 

人と会うことが嫌いなわけじゃないのよ!

大勢が集まる飲み会は確かに苦手だけど、少人数での食事会や飲み会は好きです。

要するに、一人でも十分機嫌よく過ごせるけれど

人と過ごす時間もそれなりに楽しめる、そんな感じかな?

 

一人耐性が高いとは言っても、ずーっと一人ぼっちは

やっぱり孤独だものね。

 

 

 

 

まとめ

 

 

「1日誰とも話さないと、ろれつが回らなくなりそう」という言葉を聞いて

自分の一人耐性の高さを改めて実感したわけですが

年齢を重ねるほど、一人で過ごす力は大切になると思う。

 

子どもがいてもいなくても、家族が近くにいてもいなくても

人は必ず一人で過ごす時間を持つことになります。

そういう時間が増える人が大半だと思うのです。

 

だからこそ、一人の時間を楽しめることは案外大事な能力なのかもしれません。

ろれつが回らなくなりそうと言っていた友人は

今ハンドメイド(布小物作り)に夢中です。

 

 

 

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見返りを求めていないはずなのに、なぜかモヤモヤする理由

 

人間関係の悩みの多くは、「期待」と「現実」のズレから生まれる。

頭ではわかっているのに私は時々

人に対してがっかりしたり寂しくなったりすることがありました。

 

そのたびに「相手に求めすぎなのかな」

「私の期待値が高すぎるのかな」と考えてしまう面倒くさい人間…。

 

今回は、自分の中に生まれる複雑な気持ちと“期待”について考え

少し心が軽くなったお話です。

 

 

 

 

見返りを求めていないはずだった

 

 

人に何かをするとき、「お返しが欲しい」と思っているわけではないのに

相手の反応によって、なぜか寂しくなったり、がっかりしたことはありませんか?

 

例えば、人生の節目を迎えた遠方の友人に贈り物をしたのに

何の音沙汰もない。

届いているのかどうか気になって仕方ない。

大げさに喜んでほしいわけじゃない。

でも、「届いたよ!」の一報くらいは欲しい。

 

もっと身近な出来事なら、友人の誕生日に「おめでとう」のメッセージや

LINEで気軽に送れるギフトを贈ったとき。

返ってきたのは「Thank you」のスタンプひとつだけ。

 

いや、せめてテキストで返事くれよ~~~!と思ってしまうw

あるいは、面倒な雑務を代表して引き受けたのに

特に感謝されることもなく終わったとき…。

なんだか損した気分になったりもする。

 

例を挙げればきりがないけれど

「見返りを期待していたわけじゃないのに、なぜかモヤモヤする」

そんな経験、誰にでも一度くらいはあるでしょう?

 

 

モヤモヤの正体を考えてみた

 

100%善意でやったことなのに、どうして人はモヤモヤしてしまうのでしょう?

やっぱり感謝してほしかったから?

心のどこかでお礼という名の見返りを求めていたから?

そんな卑しい理由だったりするのかしら?

 

でも、よく考えてみるとそうじゃない!!!

「ありがとう」という言葉そのものが欲しかったわけではない。

感謝の気持ちを大げさに表現して欲しかったわけでもない。

 

ただ、自分の気持ちがちゃんと届いたことを知りたかった。

そして、自分の存在や行動を軽く扱われたくなかった。

だからモヤモヤするし、時には寂しくなったりするのよね?

 

そして最大の理由は――

「自分だったらこうするのに」

という感情なのだと思います。

 

 

 

 

自分の『当たり前』を相手にも求めていた

 

自分ならこうする。

自分なら連絡する。

自分なら一言伝える。

その「自分なら」が基準になっていると、人間関係は一気に苦しくなります。

 

どこかで見聞きしたことはありませんか?

「気遣いできる人ほど、気遣いしない人にモヤモヤしがち」

という言葉を。

これを聞いたとき、私はとても納得してしまいました。

 

人は自分が苦労せずにできることを「当たり前」だと思ってしまうからです。

連絡を返すこと。

お礼を伝えること。

相手を気遣うこと。

 

私にとっては特別な努力をしなくてもできることなので、つい

「これくらい普通じゃない?」

と思ってしまう。

でも、よく考えてみれば、その「普通」は私の基準でしかありません。

 

世の中には連絡がマメな人もいれば、そうでない人もいる。

感謝の気持ちはあっても言葉にするのが苦手な人もいる。

気遣いよりも別のことに意識が向いている真っ最中の人だっている。

 

それなのに自分の中の『当たり前』を相手にも求めて、

できていない人を見ると

「無神経だな」

「気遣いのできない人だな」とレッテルを貼ってしまう。

 

そして勝手に傷ついて、勝手にモヤモヤしている。

そんな自分が嫌になる・・・

 

もちろん、本当に配慮に欠ける人間もいるから、見極めは必要だけど。

でも、すべてがそうとは限らない。

単に自分と相手の『当たり前』がすれ違っているだけってこと、あるから~~~!

 

 

期待はしていない。でも無意識には期待している

 

私はずっと「見返りなんて求めていない」と思っていたけれど

「届いたよ」

「ありがとう」

「助かったよ」

そんな一言くらいは返ってくるだろう。どこかでそう思っていた。

 

な~んだ!期待していないつもりで、ちゃんと期待していたんだ。

ただ、その期待は物やお金ではなく、

「気持ちのキャッチボール」への期待だったんです。

 

こちらが投げたボールを、相手にも受け取ってほしい。

受け取ったことが分かるように返してほしい。

 

人との関係を大切にしたいと思う人ほど

そんな期待を抱くのは自然なことなんじゃない?

だから私は「期待してしまう自分」を否定するのはやめようと思うのです。

 

期待すること自体が悪いのではなく、期待と現実が違ったときに

「この人は私を大切に思っていない」

と決めつけてしまうことが苦しさの原因だって分かったから。

 

期待してしまうのも人間、がっかりしてしまうのも人間。

そのことを認めた上で、この人はこういう人なんだな

と受け止められたら、もっと人間関係は楽になると思うんです。

 

 

 

 

それでも人に何かしてあげたい

 

 

期待しない人になるのではなく、期待してしまう自分を認めながら

それでも誰かを思って行動できる自分を大切にしたい。

だって・・・やっぱり人への期待をゼロにするのは私には難しい。

 

相手の気遣いの少なさ=自分の価値の低さ ではありません。

「連絡がなかったから私は寂しかった。

でも、それだけで私の価値が決まるわけではない」

そう考えられたら、少し肩の力が抜ける気がしませんか?

 

みんな、自分ほどは人間関係を重く考えていないんだなってことに気づくと

かなり気持ちが楽になりますよ。

だから相手の反応にモヤモヤするな~~~、大丈夫!大丈夫!

 

 

 

 

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声が大きい人に「声大きいよ」とは、なかなか言えない

 

飲食店や公共の乗り物などで

たまに遭遇する「声が大きい人」

悪気が無いのは分かるし、本人にも声が大きい自覚がない。

 

だからこそ、そばにいる人は地味に困る・・・

 

これが、本当に馬鹿でかいレベルならまだ注意もしやすいけれど

絶妙に注意しづらいラインの大きさだったりすると

「声大きいよ!」ってなかなか言えなかったりしませんか?

 

今日はそんな「声が大きい人問題」についての戯言(ぼやき)です。

 

 

 

 

本人に悪気がないからこそ難しい

 

 

声が大きい人って、基本的に悪気がない。

むしろ楽しそうに話していたり、会話好きだったり・・・

だから余計に指摘しづらくないですか?

 

【耳が遠い=声が大きい】の話しではなく

声が張っていて普通の状態でとても声量がある人とでもいうのでしょうか・・・

なのに自分の声が周りに響いている自覚が全くない人っていません?

 

ただ、とても静かな店や落ち着いた空間に入ると

多少はトーンダウンする人も多い。

つまり、最低限の空気を読む力はあるんですよね。

 

それでもやっぱり会話が乗ってくると、声がどんどん大きくなりがちで

周りの人も「あの人声大きいな」って確実に思っている状況でありながら

注意するほどの大きさでもないっていう…

 

非常識なワケじゃない!でも自分の声量が他人を上回っていることに気付いていない。

っという絶妙なラインがもどかしいのです。

 

 

一緒にいる側が疲れていく

 

これ地味に同行者がしんどいんですよ。

周りの視線が気になるし、会話内容が聞こえていそうで落ち着かなかったり。

っというか絶対に聞こえているし…(–_–“)

 

あと声が大きい人って、会話量も多い傾向があるの気のせいではないと思う。

沈黙が少なく、ずっと喋っているので声の総量が凄い!

ちょっと黙れば、周りが静かなことに気づきそうなものなのに…(-ω-;)ウーン

 

カフェやJR車内だと

「もう少しボリューム下げたほうが…」って内心ずっと思ってることもある。

結果、嫌いじゃないんだけどちょっと疲れるという不思議な感情になっていきます。

 

「次は静かな場所は避けよう」

「この人と長時間会うのはきついかも」

誘うことをためらうようになってしまうんだけど

同じような経験ある人っていないのかしらぁ〜?

 

私が神経質過ぎる? ( ˘•_•˘ )

 

 

解決策がなかなか見つからない問題

 

ストレートに「声大きいよ」と言えば済む話しかもしれません。

これを読んでる方の中にも

「声大きいよって言えばいいじゃん!くだらな~~~い」

って思っている人は確実にいるでしょう?

 

でも相手を傷つけそうだったり、場の空気が変になりそうで

なかなか言えないものなんですよ。

先程も言いましたが、馬鹿デカいわけではない絶妙ラインなので・・・

 

そして学生ならまだしも、いい大人の場合尚更!

誰にも声の大きさを指摘されることがなかったんだなぁとか

家族もみんな声大きいんだろうなぁとか思うと、指摘するの無理過ぎます。

 

絶対に気を悪くするでしょ?

 

苦肉の策はこんな感じでしょうか? ↓

 

  • 静かな店をさける
  • 席を選べる場合は場所を工夫する
  • 短時間で切り上げる

 

など、環境側で調整し始めることになります。

街歩きやショッピングなど移動が多く、一つの場所に留まらない時は

声量はあまり気にならなくて、ストレスも感じづらいです。

 

 

 

 

終わりに

 

声が大きい人って、明るくて話好きで

一緒にいて楽しい部分もあったりしますが

確実に繊細ではないな~~~っと思います。

 

公共の場での声量って、周囲への配慮がかなり出る部分だと思うんですよね。

 

そして何より厄介なのは

「気になるけれど、注意するほどでもないか?」この絶妙ライン。

だから次に会った時にも私はまた、心の中でそっと思う。

 

「もうちょっとだけ、ボリューム下げてくれると

助かるんだけどなぁ…」

 

声が大きい人に「声大きいよ!」とは、なかなか言えないものです。

 

 

 

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何もしていないのに嫌われることって本当にある

 

何もしていないのに嫌われるなんて本当にある?

無自覚なだけで何かしているんじゃない?

無神経な言葉、態度をとっていない???

 

もちろん、自覚がないだけの失礼な言動で嫌われる人もいますが・・・

何もしていなくても嫌われることはあるのです。

それは一方的な相手の思い込みや嫉妬や

理由は様々でしょうけど・・・存在するだけで嫌われることってあるのよ~。

 

 

 

 

 

SNSで起こる“理由の分からない無視”

 

 

SNSではある日突然、それまで相互フォローで仲良くしていたはずの人が

自分のコメントにだけ「いいね」も返信も一切反応してくれなくなる

そんな“あからさまな無視”が始まることがあります。

 

過去のやり取りを振り返っても、思い当たる原因はない。

「私が何かした?」っと、不安になってしまう人も多いはず。

本当は「SNSなんてそんなもの」と割り切るのが正解だけど

理由が分からないからこそ、つい考え込んでしまうんですよね。

 

けれどそんな時は、はっきり思っていい。

それは自分の問題ではなく、相手側の問題だって!

SNS上だけの関係で、最低限の対応すらできないなら

そこには何かしら相手の感情(不満・勘違い・嫉妬など)があるだけ。

 

深く考える価値はないし、その時間が無駄なだけ。

そもそもSNSのつながりは、人生に大きな影響を与えるものではないし

気に病む時間が本当にもったいないです。

 

後もうひとつ言えるのは

急に距離を縮めてくる人ほど要注意だということ。

一方的に好意を寄せてきたかと思えば、突然嫌って無視してくる。

 

これに関しては、実際に私もInstagramで経験ありなんです。

向こうから急激に距離を詰めてきたのに

ある日を境に突然の無視が始まりました。

 

私もウジウジと考えてしまいがちな性格なので

何か失礼な発言をしてしまったのでは?っとコメントを遡ったり

何が地雷だったのかと悩んだり・・・結局原因わからず


でもね、そんな不安定な関係に自分の感情を振り回される必要ないのよね?

嫌われてラッキー☆そう思うのが一番楽です。

その後こちらからミュートにしたら、いつの間にかブロックされて

すっきりしました。

 

 

 

歩いているだけで嫌われた中学生の私

 

中学生の頃、ただ普通に歩いているだけで

上級生の女子から突然敵視されたことがあります。

入学して1週間、経つか経たないかくらいからそれは始まりました。

 

「気取って歩くな!」「ぶりっこ!」――(時代を感じるヤジですねwww)


話したこともない相手から、そんなヤジを飛ばされる日々。

もちろん、こちらは何もしていないし、ただ普通に歩いているだけよ?

ランウェイ上のモデル歩きしているワケでもないのに・・・

今思い返しても、なかなか理不尽な出来事だったなと思います。

 

なぜ自分は上級生から目を付けられてしまったのか?

何がいけなかったのか?

当時は上級生がとても怖かったし、ただただ傷付いていました。

 

そして後になってから分かったこと

原因は恐らく“嫉妬”だったということ。

同級生が教えてくれたのですが

「お兄ちゃんたちがアナタを可愛いと言っている」


いっそ、私が文句のつけようのない美少女だったら

こんなヤジはなかったかも知れないと思います。

これは想像でしかありませんが…

 

「どうしてあの程度の女がモテるの?」

「よく見たらたいしたことないのに、どこが可愛いんだよ?」

そんな会話が上級生女子の間でなされていたのかも?(>ω< )՞ ՞

 

正直なところ当時の中学生女子の

わざわざヤジを飛ばさずにいられない心理なんて分かりませんけど。

大人になってからもSNSで、クソリプかましてそうですよね?www

 

それにしても、話したこともない相手から嫌われるって

芸能人にとっては日常茶飯事てすよね?

本当にメンタル強くないと芸能人にはなれませんね。

 

 

 

 

嫌われてもどうってことない!

 

結局、何もしていないのに嫌われることって本当にあるんですよね。

 

理由はとてもシンプルで

相手の中にある感情が勝手にこちらへ向けられているだけ。

そこに明確な原因や、納得できる理由なんて無いことのほうが多い。

 

だからこそ「何が悪かったんだろう」と考え続けても答えは出ないし

むしろ自分をすり減らしてしまうだけなんです。

 

理不尽だけれど、そういうことは起こるもの。

そして、それは自分の価値とはまったく関係のない話。

2:6:2の法則!

 

  • 2割:あなたを好きで応援してくれる人
  • 6割:どっちでもない(興味があったりなかったり、その時次第)
  • 2割:合わない、苦手、嫌いと感じる人

 

そう思えるようになると、少しだけ気持ちがラクになります。

 

 

 

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泣いて、怒って、落ち込んで。それでもちゃんと生きてる

 

ポジティブでいることが正解みたいな世の中で

迷って泣いて落ち込む自分を、ちょっとだけ肯定したい。

ポジティブだけに振り切って生きてる人間なんかいないでしょ?

 

※この記事はあくまで独女の戯言です。

 

 

 

 

SNSのポジティブ全開に感じる違和感

 

 

SNSでよく見かける「ポジティブな私」アピール。

「スーパーポジティブです!」「いつも笑顔でご機嫌に生きてます!」

……ああ、まぶしい。直視できない。

 

もちろん、前向きでいようとするのは素敵なこと。

でも自己啓発アカウントでもないのに、

「ご機嫌な私」をキャプションでそんなにアピールする必要、ありますかね?

 

いつも思うんです。

ポジティブな自分をアピールすることに

いったい何のメリットがあるんだろうって。

 

私なんて、そこそこ元気で、ときどき沈んで、ふか〜〜く落ち込むこともある。

でもまぁまぁやれてる。

そのくらいのテンションで生きてるんですよね。

 

だからこそ思う。

私くらいの感じが普通じゃないの?

スーパーポジティブってそんなに魅力的ですかね?・・・謎

 

 

私はネガティブ

 

私の根っこは、どちらかというとネガティブ寄り。

迷うし、泣くし、落ち込む…静かに怒ることもある…めっちゃ心配性。

でも見た目やSNSの印象からは、そうは見えないらしいんですよね。

 

顔出ししておしゃれなカフェの写真を載せていると、

「華やかで、いつもご機嫌そう」って思われることもある。

でも、それは私の生活のほんの一部に過ぎません。

 

本当の私は、泣いたり落ち込んだりしながら、

なんとかバランスをとって生きている、普通の人間。

 

隠しているわけじゃなくて、インスタにわざわざ

「今日は落ち込んでます」って投稿しないだけです。

きっとほとんどの人がそうじゃないかな。

 

ポジティブじゃなきゃ、キラキラ投稿しちゃダメってわけじゃないでしょ?

わざわざネガティブアピールはしないけれど

私生活、実はネガティブって人は意外と多いはず!

 

ポジティブ&マイペース

この2つのワードがプロフィールに並んで出てくると

怪しい匂いしかしませんwww(偏見)

 

ポジティブアピールって、実は共感を得られていないかも・・・?

 

 

「前向きにいこう!」の一言がしんどい人もいる

 

ポジティブ全開の人って、返事がやたら早い。

相談しても「こうすればいいじゃん!」「そんなの気にしなくていいよ」

「前向きに考えよう!」はい、終了!

 

いやいやいや・・・もう少しモヤモヤさせてくれ~~~www

 

落ち込んでいるときに

「笑顔でいれば幸せがやってくるよ」なーんて言われて救われますか?

 

ちょっと共感して欲しいだけなのに

一刀両断で解決されると何も言えなくなる。

そして、何も相談しなくなる。

 

悪気がないのはわかっているけれど

ポジティブの押し付けって意外と暴力的な時があったりするのよね?

「わかるよ」「辛かったね」そんな共感力も本当に大事よ。

 

まぁ~私は本気で悩んだり落ち込んだ時には

プロのカウンセラーへの相談を推奨していますが・・・

 

 

 

 

揺れる自分でちゃんと生きていく

 

 

正直、どんなにポジティブでも

いつでもご機嫌で生きてる人間なんてこの世にいないでしょう?

ポジティブでいなきゃ幸せじゃないなんて思って生きてるほうが

なんだかしんどそう・・・

 

迷ったり泣いたり、後悔したり怒ったり・・・

生きてる人間の普通の感情を否定されたら、息苦しくなるだけ。

 

だから私はポジティブにはなれないし、無理してそうなろうとも思っていません。

ちょっとネガティブで心配性な自分を受け入れて

揺れる自分で生きていくのが、きっとちょうどいい。

 

 

 

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『私のせいかも?』すぐに自分を疑って心が疲弊する

 

何か事が起きると、自分を疑いがちな人間です。

「これ、私のせい?」

「何か間違ったかな?」

自分のダメなところ探し…神経がすり減る・・・

 

はぁ~~~っ、生きづらい (;'∀')

 

 

 

 

 

自分を疑う人の特徴

 

 

自分を疑いやすい人って、何かあるとすぐに

「どこが悪かったんだろう?」っと反省ポイントを探してしまいます。

小さな会話の一言でも

「あれは余計だったかな?」と気にしたり、ちょっとした態度で

「不快にさせたかも?」と後悔したり心配したり・・・

 

そして次に始まるのが自分のダメなところ探し。

たとえ相手が自己中だったとしても

自分の態度が相手をつけ上がらせたのかもしれないと思ったりね。

 

こういう思考って、かなりしんどいです。

謝るべきじゃないことで謝ってしまったり、こちらから歩み寄ったり・・・

 

だけどその一方で、そんな風に自分を見直すクセがあるからこそ

改善点に気づけたり、成長できたりすることもあるんです。

心理学の本を読み漁ったりねwww

 

自分を疑う人には、成長余地がたくさん眠っているとも言えます。

 

 

自分を疑わない人

 

先程とは真逆に、世の中には全く自分を疑わない人もいます。

何かトラブルが起きても「私は悪くない、悪いのは相手」

っと即答できるタイプ。

 

自分を信じるというポジティブシンキングを

ちょっと勘違いし過ぎている人っていますよね?

 

 

仕事でミスをしても「説明が足りなかったあの人が悪い」

友だちとトラブっても「あの子の心が狭い」

とにかく自分には一切非がないというスタンス。

 

そういう人を見ていると、正直羨ましくなる時があります。

だって、迷いも反省もなく自分の正しさを信じられるって

心がすごく軽そう。

 

悩んで眠れなくなるとか、なさそうじゃない?

 

 

 

 

でも疑うことには意味がある

 

もちろん、自分を疑わないで生きられたら

精神的にはとてもラクそうです。

余計な心配もないし、自己肯定感もめっちゃ高そうwww

でも、反省しないということは「改善の余地」に気づけないということです。

自分の行動を見直すチャンスを逃してしまう。

 

友人関係がうまくいかなくても

「私は間違っていない」で片づけてしまえば

人間関係の築き方すら学べなくなってしまいます。

 

自分を疑わない人は「ラクそう」だけど

心の伸びしろは少ないのかもしれません。

年齢だけ重ねても、いつまでたっても自己中なままの人間ってまさにコレ。

 

少しは自分を疑えよ?

 

 

 

まとめ どっちがいいんだろう?

 

結局のところ、自分を疑いすぎても心が疲弊するし

全く疑わなければ成長のチャンスを逃してしまう。

大事なのはバランスなんだろうと思います。

 

私は完全に「自分責め派」で謝りがち人間だけど

最近は出来るだけ鈍感になろうと心がけているし

むやみに謝ったり、下手に出て歩み寄ることをやめました。

 

自分を疑わない図太さも、少しは見習いたいw

 

「疑う心」と「揺るがない自信」

その間をもっと上手にいったりきたりしながら

生きていきたいです。

 

 

 

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それ、マイペースじゃなくて自己中では?

 

SNSのプロフィール欄に「マイペース」と書かれていたり

自己紹介で自分で自分を「マイペースです~~~」っていう人がいると

ちょっと身構えてしまうワタクシ・・・

 

周りに配慮できる「マイペース」は何ら問題ないけれど

世の中には自分勝手な行動を「マイペース」と呼ぶ

困った人間がいるからです。

 

 

 

 

それ、ただの自己中では?

 

 

世の中には「自分勝手」とか「無神経」な行動を

まるでチャームポイントのように「マイペース」と呼ぶ人がいます。

相手の都合も時間も気持ちも無視しながら

「私ってマイペースなんだよね」っとほざきます(苦笑)

 

自分のペースを保ちながら、周りとの調和も考える人

自分と同じくらい他人を尊重できる人なら良いけれど

他人への配慮の薄いワガママを正当化するかのように

「私って昔からマイペースなんだ~~~」って言う人とは距離を置きたいです。

 

 

それ、ただの自己中ですから~~~

 

 

 

自分らしさと無神経さ

 

 

もっと他人の心の機敏に気付けよ?って人間に限って

「残りの人生、自分ファーストで生きます」宣言するの・・・モヤッとします!

いやいやいや・・・アナタはもう十分自分ファースト生きてますよ?

って人、いますよねぇ?

 

自分都合で他人を振り回したり待たせたりしても平気な人。

周りが自分に合わせるのが当然と、感謝の気持ちを持たない人。

友人を雑に扱う人。

 

周りのぺースを乱すことに何の躊躇もない神経の図太さは

ある意味羨ましくもありますが・・・

「自分らしさ」と「無神経さ」は違いますからね。

 

誰かを不快にさせる自分らしさを「マイペース」と呼ぶ人間は嫌いです。

 

 

 

本当にマイペースな人って・・・

 

 

自然体で空気も読めて相手の立場に立てる人。

おひとり様行動も出来る人。

軽々しく流行を追わないけれど自分の好きには正直な人。

意見はしっかり持っているけれど、押し付けないし自慢もしない。

そこには思いやりがあるから誰も不快にならない。

 

マイペースとはそういうことなんじゃあないの~~~ (。´・ω・)?

 

他人と違っても自分のペースで生きていて

でも他人に迷惑はかけない・・・そういう人はむしろ尊敬します。

 

 

 

 

マイペースだから~と言う前に・・・

 

「マイペース」って言葉、自称するのは要注意って個人的には思っています。

慎重に使うべき表現だなって・・・

自分勝手を正当化するために使ってる?って思われる可能性・・・あると思う。

無神経な人がポジティブ表現として使っているのを見聞きした経験があると尚更ね。

 

そしてこの言葉を使う前に

自分のマイペースは誰かを振り回していないか?

王様になっていないか?友人を雑に扱っていないか?

ちょっと立ち止まって考えましょうねって話よ!

 

残念ながら、無神経な人はそんなこと考えないだろうけどね。

もう50代・・・この先のワタシの人生に

マイペースという名の自己中人間はいらない!!!

 

 

 

 

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身近にいる友人を雑に扱う人!大切にすべき相手を間違えてはいけない

 

人間関係で大切なことって人それぞれ違う思いますが

ワタシが個人的にとても嫌だな~~~っと思うことは

慣れ親しんでいくと同時に態度が横柄になっていく人です。

 

つまり、自分への扱いが雑になっていく人

 

そんな人がもしも近くにいたら

更に距離を縮めることなく、深みにはまる前に離れましょう。

雑に扱われることに、慣れてしまわないように・・・

 

 

 

 

 

少しづつ生まれる「甘え」の感情

 

 

人間関係が深まると、だんだんと甘えの感情が生まれますよね。

これくらいなら許されるだろう・・・

いちいち「ありがとう!」を言わずとも分かってくれているだろう・・・

 

感謝の気持ちが無いわけじゃないけれど

言葉に出して伝える必要なんて、今更ないよね?

 

コレ友人関係だけじゃなくて、夫婦関係にも言えることよね?

ワタシは友人関係を前提にこの記事を書いているけれど

何事も当たり前は無いんだってみんなが自覚するべきだと思っています。

 

言葉にしなくても気持ちが伝わってる?それ幻想なのですよ。

感謝の言葉は言ってナンボですよ!!!

 

 

 

 

小さなことにも「ありがとう」

 

どんな小さなことでも、何かしてもらったら「ありがとう」

相手の心遣いに気が付いたら「ありがとう」

当たり前のことのように思うけれど

いい大人になってもコレが出来ていない人、たま~にいるのです。

 

この簡単な積み重ねだけでも

人間関係が深まるし良くなっていくと思うのに。

 

ただとても残念なのは・・・

何かしてもらっても気付かない人。

心遣いも当たり前に受け取って、そもそも感謝していない人。

 

 

やってもらって当たり前!

 

 

こういう鈍感で傲慢な人に関しては、言うだけ無駄に終わる可能性が高いので

そっと離れるしかないんだろうなと最近は感じています。

特に中年以降の人間は言うだけ無駄だというのがワタシの学びです。

 

 

 

身近な人を雑に扱う女の話し

 

 

友人を自分都合で振り回したり、待たせたりしても

「ありがとう!」の言葉を一切言わない女がいました。

でも彼女、SNS上では感謝の言葉オンパレードなんです。

 

「いつもイイネ!ありがとうございます」

「優しいお言葉、感謝します!」

「フォロワーの皆様のおかげです」

 

1000人程度の会ったこともない相手には感謝できるのに

どうして傍にいる人間には感謝出来ないのでしょう?

大切にすべき人を完全に見失っているのです。

 

マネタイズしているワケでもないプライベートアカウントで

自分を誇張して優しい人間を演じ、褒められることに喜びを感じている間に

身近な人間を雑に扱い、友人関係にヒビが入るって悲しくない?

 

何故だか人は、大切にすべき人間を雑に扱い

本来どうでも良いはずの人間に愛想を振りまくことがあるのです。

家の中では不機嫌なのに外面だけはいい昭和の頑固オヤジみたい・・・www

 

 

 

まとめ 人間関係で大切なこと

 

ワタシが思う人間関係で大切なことは

相手の立場になって考える思いやりと優しさに尽きると思っています。

そして感謝の気持ちを伝えること。

 

決して人を雑に扱ってはいけないし、大切にすべき人を間違えてはいけません。

身近で心許している人にこそ

「ありがとう!」の言葉を伝えていきましょう。

 

相手の為だけではありません。

そうすることで自分も優しく、心穏やかに生きられると思います。

 

 

 

 

 

 

本音を話せる人がいなくて辛いとき、カウンセリングで安心を得るという選択

 

皆さんは悩みや胸の内を話せる友人がいますか?

私はランチに出かけるようなお友だちはいますが

自分にとって深刻ことを相談できる友人はいないんです。

 

誰にも相談できず一人きりで抱え込むのは

それはそれは辛いものですよね?

 

 

 

 

 

本音を話すと嗚咽で言葉が出なくなる

 

私は子どもの頃から、自分の本音を言葉にしようとすると

涙と嗚咽が先に出て言葉が出てこなくなってしまうのです。

特に「怒」と「哀」の感情の時にそうなってしまいます。

 

 

子どもの頃はただの「泣き虫」呼ばわりで済みますが

大人になってもどうにも治せなくて・・・

泣けばどうにかなると思っている

っと思われるのが嫌で、自分の感情を殺すようになりました。

 

最近になって「HSP」の人に共通する特徴なのだと知りましたが

長年この恥ずかしい現象に苦しんだのですよ。

泣くのが恥ずかしいから悩みも相談出来ないんだもの。

 

大人が安易に泣くのって、嫌われるでしょ?

 

 

 

カウンセリングに行ってみた

 

人間関係で悩みが勃発して、最近ずっと鬱々していました。

誰にも相談出来ない中、情緒が不安定になっていくのを感じ

このままだと突発性難聴になってしまう~~~っと思いまして・・・

 

メンタルサポートのカウンセリングに行って来ました。

私はメンタルが体調に影響しやすく

過去に心療内科に10年以上通院していました。

 

その経験から、一人で鬱々を抱えてふさぎ込むよりは

積極的に頼れるところに頼ろうと思いました。

自力で心を救うのは、なかなか高難度なので・・・

 

 

 

否定されない安心感の中でじっくり話せる

 

 

はじめて訪れたメンタルサポートのカウンセリングルームは

完全予約制で他の誰かと鉢合わせすることなく

カウンセラーと個室にて、1対1で90分たっぷりお話しできました。

 

けっして急かさず傾聴の姿勢で、話の腰を折ることもなく

こちらが話し終わるまで待ってくれますし

相槌のタイミングも絶妙で、最初の緊張が嘘のようにリラックス出来ました。

 

優しそうな女性カウンセラーで、清潔感があり

地味過ぎず派手過ぎず、見た目の好感度も高かったです。

 

自分の気持ちを解放すると、やはり泣いてしまいましたが

共感はするけれど、思ってもない上っ面なことは決して言いません

そういうルールなんです!

 

そう言っていたカウンセラーさんから

「あなたは1ミリも悪くないですよ、もう相手に謝らないでください」

っとアドバイスされて、ちょっとだけ魂が救われました。

 

まぁ、たった90分で心が快晴!とまではいかないので・・・

 

とっても簡単に説明すると

友だちから嫌な態度を取られた⇒雑に扱われて悲しいと伝えた⇒逆切れ

自分が我慢することが正解だったのかと悶々としていたけれど

我慢の先にあるのは次の我慢だと思えました。

 

対等ではなく、歪な主従関係があることにも気付けて

それは私にとっては辛く悲しい現実だったけれど

自分を責める材料を自ら探す行為をやめようと思えました。

 

もう謝らない!っと心に誓ってカウンセリングを終えました。

 

 

 

 

まとめ

 

 

誰かに話せた時点で悩みの半分は解決する、とか何とか聞いたことがありますが

誰かに話すって本当に大事だなっと思う反面難しい面もありますよね?

相談のつもりでも「悪口」と思われてしまう可能性も心配です。

 

話す相手がいない時には

お金を払ってでもカウンセラーに相談するという選択もありますよ。

悪口だと勘違いされたり、言いふらされる心配ゼロ。

 

「そんなことで悩んでいるの?暇だからじゃない?」

「考えすぎだってーーー!」一刀両断

相談したかったのに傷を深くする、そんな心配もありませんよ。

 

対面が嫌であれば電話カウンセリングやメールカウンセリングなど

家に居ながら相談する方法があるので敷居は低いです。

 

私はすぐに継続カウンセリングが必要なほどは弱っていなかったので

次の予約を今直ぐに・・・っとは思っていませんが

また負の感情に襲われた時には、迷わずココ!っと思いました。

 

根がネガティブなもので・・・(^^;)

 

※カウンセリング料金は様々で、札幌では6000円から10000円が相場のようです(平均約60分)

ワタシ調べ

 

 

 

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「実はワタシ不倫してるの」という告白ほど、いらん告白はない!

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不倫が良くないのは当然のことなのに

「ワタシ、不倫してるんだよね!」っと告白したがる人っていますよね?

 

秘め事にすべきだと思うし

「誰にも言ってないんだけど・・・」っと言われると

だったら私にも黙っとけ!!!と思ってしまいます (;'∀')

 

※加筆/修正 2024年10月

 

 

 

 

不倫の告白は友人にすべきではないと思う理由

 

「ワタシ、実は不倫してるんだよね」って告白ほど

いらん告白はないと思います。

 

例えば万引きしている人が、カフェでお茶しながら

「ワタシ、いつも近所のスーパーで万引きしてるんだ」

って告白します?

 

不倫って世間的に悪いことであっても警察に捕まるような犯罪ではないので

万引きと一緒にするな!っと怒る人もいるでしょうが。

不倫の告白で不快になる人間は確実にいるので

人間性を疑われるリスクは覚悟しなければなりませんよ。

 

少なくとも受け止める人によっては

「不倫してるんだ!」は

「万引きしてるんだ!」と同じくらいの衝撃案件だったりするので

わざわざ人に話すことではないと自覚すべきです。

 

恋愛に関する事は悩みであれ、惚気であれ

誰かに聞いて欲しいと思う気持ちは分りますが

不倫を普通の恋バナと同じ土俵に上げてはいけないと思います。

 

信頼している仲の良い友人にこそ話したくなるかも知れませんが

基本的に不倫を褒めてくれる人なんていません。

軽蔑されるリスクこそあれ、尊敬されることは絶対にないんです。

 

それと表面上、物分かり良さげな顔でフンフンと話を聞き

根掘り葉掘り不倫話を掘り下げて聞いてくる人がいたら

それは共感ではなく、ただの好奇心だと疑ってかかるべきです。

 

話を聞いてくれるその人は、あなたの味方ではない可能性が高いです。

アナタが話した内容は、別の友人間でひっそり広まっているかも知れません。

安易に人を信用しないことです。

 

自分の人間性や価値をわざわざ下げる告白なんて、しちゃだめよ!

 

 

 

 

奥さんの悪口を言う=罪の意識など微塵も無い

 

「相手の家庭を壊す気はないの」と言いながら

奥さんの悪口が始まるのも、聞かされる側はウンザリしますよね。

 

夫が不倫相手に子どもの話や、子育てに対する不満を言ってるなんて

妻の気持ちを考えたらやり切れないですし

相手の男サイテーだな!と思います。

 

奥さんの悪口を聞かされる側は心がすり減っていくんです。

友人でいる事がしんどくなる人だって少なからずいるでしょう。

奥さんの悪口や子育て批判している人間に、不倫に対する罪悪感があるはずもありません。

 

世の中意外と保守的な人が多いんですよ?

不倫を許してくれそうな人に告白したのに

突然説教される可能性だってあるんです。

 

 

 

この世の中、黙ってるだけでみんな不倫してる???

 

不倫している人がよくいう言葉なんですが

 

「黙ってるだけでみんな不倫してる」

 

 

「みんなって誰!?」www

 

えっ?みんな不倫しているんですか???

類は友を呼ぶと言いますが

確かにこういうことを言う人の周りには同じような人間が集まっているんです。

 

なので、【みんなやっている】と思い込んでも仕方ないのかも知れませんが…

でもねぇ、不倫していない人だってたくさんいるはずですよ。

この開き直っている感じが不快ですよね?

 

少なくとも不倫女が罪悪感に苦しんでいる姿を見た事がありません。

人知れず泣いているかも知れませんが

だったらペラペラ不倫告白なんかしないで

ひっそり待つ身の女に徹して欲しいです。テレサ・テンの歌みたいに。

 

 

 

 

 

全ての事に説得力がなくなる

 

不倫を告白するリスクはまだまだありますよ?

告白した相手から見たら「誠実な人間」ではなくなっている可能性が高いので

どんな正当な発言も正義感にあふれた言葉も、全く響かなくなっているかも。

 

『でもアナタ・・・不倫してるんだよね?』

『不倫しているくせに何を偉そうに言ってるんだよ!!』

まさに【言っている事より、やっている事がその人の正体】ってやつです。

 

直接的な言葉を言われる事がなくても、心の中で蔑まれている可能性が高いです。

不倫していない人間は、不倫している人間が思っている以上に

「不倫」に厳しいのです。

 

 

 

私が告白されたら・・・

 

私は不倫が嫌いですが、一筋縄ではいかないのが人生だという事も

年齢を重ね分かっているので

告白してきた人を批判することは言わないですし

それが原因で「友だちをやめる」みたいなことは一切ないです。

 

話は聞きます。説教はしません。

絶賛不倫中の人に何を言っても無駄だってことを学びました。

ただ、誰かを傷つけてもその関係を貫く意思がないのなら

「バレないうちにやめた方がいいと思う」

っと1度だけ静かに忠告することにしています。

 

家庭があるのに不倫する理由とやらのアンケートを以前ネットでみましたが

女性側が感情を満たしたいのに対し

男性側は性欲を満たしたい・・・なんとも分かりやすい結果・・・

こんな言葉を思い出しました。

 

 

「いい女は寂しさに負けない、いい男は性欲に負けない」

 

 

 

 

まとめ

 

結婚しても誰かを好きになる事はあるでしょう。

それこそ人生いろいろですから、個人の恋愛観に関してアレコレ言う気はありません。

私だってある日突然カミナリに打たれたかのような出会いが

今後あるかも知れませんし(苦笑)

 

好き勝手やってくれて構いませんが、不倫は黙っとけ!

特に家庭持ちの友人には、たとえ親友であっても告白しない方が良いです。

告白された側も苦しむ場合がありますから・・・

 

それでもどうしても話したい?

 

人に相談出来ない苦しみも含め不倫なんです。

 

友人に相談しないかわりにブログなど「書く」ことで

気持ちを発散するのが得策な気もしますね。

あとは「X」で壁打ちですね。

そのうち同じ境遇同士で共感しあえるかもしれません。

 

もちろん身バレには注意が必要ですけど・・・

 

 

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